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その他の証1(女性)
 
 今私達は、イザヤ書からクロスが生まれる前100年以上も前に神が正確に預言したことを通して、神が私たちの人生に緻密な計画を持っておられることを学びました。これから主が、私もこのように主のご計画の中に導いて下さっている事をお証ししたいと思います。
「ダニエルよ。私は今あなたに悟りを授けるためにでてきた。あなたが願いの祈りを始めた時、ひとつのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。」                                              (ダニエル書9章22、23)

 この箇所からダニエルに神がご自分の計画を示しされた時、ダニエルはユダヤ人としては一番居たくないところにいましたが、みことばによりそこは神が愛してくれた結果が現れる所と悟ったことを学びました。 2年前、私の両親が相次いで亡くなり、私達が両親の残した家に住み始め8ヶ月位した頃、昨年の6月でしたが夫が退職勧告を受けました。「とうとう来るべきものが来た。」という感じでしたが、私には仕事が与えられていたので、私にとってはそんなに悲壮なものではありませんでした。神が私たちを絶対に養ってくださると確信していたからです。
 そして今年の4月にも仕事が与えられましたがそれは1年間の非常勤ということでした。面接に行ってみたら校長は私が勤めていた頃仲良くしていた人のご主人でした。神様の導きを感じました。そして校長から、去年までは常勤で配当されたが、今年からはどうしてもそうならないと説明されました。どうして一年間なのに非常勤なんだろう。授業時数も週24時間もあるのに。この状況はちょうどサムエル記で、サウルの父の雌ろばがいなくなったと同じように私には問題でした。 でも今、神はハガイ書で「この宮のこれから後の栄光は、先のものより勝ろう。万軍の主は仰せられる。」と語ってくださっています。これはわたしが考えると、先のものより勝るとは思えないことですが、きっと先のものより勝っているんだろうとみことば通りに信じました。
 そんな中で、通信で受けていた小学校の免許取得のためのテストに合格という、私にとってはとてもうれしい知らせが来ました。昨年の6月に入学し、レポートは夏休みと秋休みを使い割合早く書けたので、私は試験も順調に行くと思っていました。ところが試験にてこずり、本当はせめて2月の試験に合格したかったのですが、また4月に挑戦という事になり、しかもこれから毎月受けて8月のスクーリングでやっと取れるかも知れないと思い始めていました。そしたら何と驚いたことに、自分が準備した所が出たのでした。そして4月の下旬に合格通知を受け取ることができました。主の御名をあがめます。 それで、やれやれ、これで少しのんびり出来ると思っていた頃、今年の横浜市教員採用試験の年齢制限が解除されたことを知りました。私は以前小学校に勤めていましたが、夫の大阪転勤に伴って退職し、年齢制限により門は閉ざされていました。前回は中学校で受験したのですが、今回は小学校の免許が必要です。ここにも主の導きを感じました。でも試験の内容を見ると、学習指導案を書く、論文、水泳等、私が避けて通って来たものばかりなので、これは大変だ。大丈夫かなという気持ちになりましたが、とにかくチャンスが与えられたので、やれるだけのことはしなくてはいけないという気持ちで取り組むことにしました。またこの為の勉強の時間も、非常勤講師とされていたことで備えられていたことを知りました。
 そのような時、先々週の日曜日に牧師から「合格したら証しようと思ってるんでしょう。だめだよ。」と言われ、これは今サムエル記9章で、サウルの父の雌ロバを探しても見つからなかったサウロが帰ろうとしたら、一緒にいた若い者が「待ってください、予見者が居ます、そこにまいりましょう。私たちのいくべき道を教えてくれるでしょう。」と言ったことと同じ声だと思いました。私はサウルのように自分の経験から自分が出来ることによって結論を出していたのです。それはちょうど、サムエルに会いに近づいたサウルが、サムエルから「高き所に上りなさい、そして私たちは一緒に食事をすることになっています。」と言われた時、サウルが自分の経験から「私は、イスラエルの部族うちの最も小さいベニヤミン人ではありませんか。」と言っているのと同じ答えを出そうとしていたのです。 このことから、イエス・キリストはご自分と出会わすために、一人一人に計画を持っていて、ご自分の支配を現すために、一人一人を導き、すべてのクリスチャンをご自分がすべての事をする世界に招いていることがわかりました。主は、サムエル記9章24節で「あなたの前に置かれたのは取っておいたものです。食べなさい。私が客を招いたからと民に言って、この時のため、あなたに取っておいたのです。」と語られました。

 私はこの御言葉に立って、自分の経験や力によって結論を出すところではなく、御言葉によって神ご自身がすべての事をなさる神の働きをもたらすところに立ち、神が結論を出すところに導かれて行きたいと思います。 礼拝で語られたピリピ4章17節をお読みしたいと思います。
「私は贈り物を求めているのではありません。私の欲しいのは、あなた方の収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。」


神は、この霊的祝福、神が原因の祝福を実現するために、私たち一人一人に対して緻密な計画を持って導いて下さっています。では最後にパウロの祈りをもって、私の証を終わりたいと思います。
「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことの出来る方に、教会により、またキリスト イエスにより、栄光が世々にわたってありますように。」  (エペソ3章20節)
主に感謝します。ありがとうございました。