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救いの証1(男性)
 

 私がこの教会に初めて来たのは、台風か何かで教会が床上浸水になった時の事です。当時工事をしていた父が様子を見に来たついでにたまたま居合わせ、教会の存在を知りました。「一度行ってみなさい!」という父の言葉で何となく来たのが始まりでした。今まで全く宗教に無縁だった環境にいた為、教会というと必ずパイプオルガンが在り、ステンドグラスに高い天井、屋根には十字架があると思ってました。ですのでここが教会といわれてもイメージが沸いてきませんでした。今思うとそんな程度でした。
 最初は牧師のメッセージがまるで日本語では無いと思える程、何を言っているのか聞き取れませんでした。しかし皆さんの主を信じ学んでいる姿を目の当たりにした時、何故ここまで真剣になっているのか?そこまで魅力的というか偉大な人物なのか?と皆さんの献身的な信仰の姿から感じました。 もう少し教会に行って、主イエスキリストとは何か?知ってみたい!そんな思いから何度か来るようになり今に至る感じです。
 そして洗礼を受けるまでに2年かかりました。洗礼を受けるのに抵抗があったのはただ1つです。それは自分が無力だと認めたくなかったからです、自分は一応体育会系です。運動部に長く所属していると自分の努力次第、自分の可能性を信じて日々練習に励む事が当然になります。 とにもかくにも自分次第!言わば自分が原因となって中心となって戦うという事です。時々、「神のみぞ知る」だとか「神の力によって・・・」などと言っている外国のスポーツ選手をTVなどで見かける事があります。「バカな奴だな!そんな祈っている暇があったら練習しろ!」などと思っていました。ですから自分に無益な神など必要ない!何の意味があるのか?とさえ思った時期もありました。

 そんな時、自分は無力だと痛いほど感じた事がありました。それまでも神の計画の中で神を体験していたのでしょうけど、自分自身これは神が原因とは感じず、たまたまの出来事であり、なかなか神を体験できませんでした。いわば聞く耳と見る目を持っていなかったからでしょう。
 自分が無力にさらされたのはある友人の事故死でした。彼は交通事故でも死にそうにない程体格も良く、トッポイ奴で喧嘩も負けた事がない程の強靭な奴でした。しかし居眠り運転でガードレールに激突、そのままあの世へ行きました。こうして毎日を過ごす中で彼はこの世に存在しないのだなぁ・・・と時々思います。
死ぬ時は一瞬!自分の思いや力でもなるようにしかならない物だなあと強く思いました。 それでも自分はそうは行かない、こうはならないと逆に思いました。その時も自分の無力さに気付きませんでした。
 そして1年後、今度は元交際していた女性の父親が他界しました。自分は彼女に何一つしてあげられる事も無く、ただ言葉を掛ける位しか出来ず、自分の無力さを痛感させられました。

あー自分の力ではどうにもならない事があるのは分かってはいたが、葬儀に出席した後、水曜日の学びで牧師がメッセージした事があります。 「自分が原因で生きていると自分は愚か周りの人間をも不幸にしてしまう・・・」これが自分の無力さなのかと思いました。神に屈服したといいましょうか?初めて主を受け入れるという思いになりました。しかし自分は毎週水曜の学びも、会社が終わるのも確かに遅いですが疲れて来ない、また日曜礼拝も野球やスキーなどで来ないし、午後のセルにも参加していない。こんな自分が洗礼を受けて良いのだろうか?と思い牧師に話しました。牧師は自分の成長がこの先何年かかるか分からないが、日々主の導きに自分が応えて成長していけるかどうかだと言いました。
 それから洗礼への学びをしていると、自分が聖書を正しく理解していない事、色々な事が記してあるのと同時に難しいなぁと思いました。洗礼の学びの中で教えらた事があります、主は全てを知っておられる!全て見られている!という事です。何事をするにもあまり自分自身の腹の内を知られたくない、あまり素直になれない自分が居ましたし、今もまだまそうかもしれません。でも主は全て知っておられるのだから格好つけなくてもいい!そう思ったら何をするにも全ては主の計画の中で決まっているのだから、自分は主に全てを委ねようと決めました。心の重荷が取れたといいましょうか?腹をくくるという思いになれました。これからは主の枝となり、そして戦士となって戦い続けるつもりです。 ”戦わずして勝利者にはなれない!”とても勇気の湧いてくる言葉です。今まで勝利者にならなくても良いから戦わなかったのかもしれません。しかし勝つ為に何をすべきか?そして何故戦うのか?教えてくれた気がします。自分は小さい頃から困ったときには、「あ〜神様」と架空の神という存在を頼り祈った事もありました。困った時の神頼みです。そしてふざけ半分で友人に「あなたは神を信じますか?」などと言った事もありました。もし今自分が同じ質問を受けたら「はい!イエス・キリストを信じます」と答えるでしょう。