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みことばの証1(女性)
 
 3月12日(木)、私はこの日フェリス女学院の音楽学部による卒業記念コンサートに行ってきました。 これは私が以前から聞きに行こうと思って計画していたものではなく、T姉から演奏会があることを伺って、たまたまその日が私の仕事が休みだったので聞きに行かせて頂きました。その時のお証をさせて頂きます。

 コンサートの曲目はヘンデル作曲のメサイヤという曲でした。この曲についての私の知識は、ハレルヤコーラスがあるということと、3時間にも及ぶ大曲だということと、楽器の演奏よりも歌や合唱がメインの曲だと言うことくらいしか知りませんでしたが、メサイヤというこの曲は、救い主についてのキリスト教の奥義をテーマにしているとうこと、曲の構成が3部構成となっており、一部では復活と信仰の勝利と栄光を歌っていることを初めて知りました。 さらに3時間にも及ぶこの曲の歌の歌詞がすべて聖書のみことばから成り立っており、そしてこの曲で1番初めに歌われるみことばは、イザヤ書40章1節からであることも初めて知りました。
 そういえば、今月のリビングライフもイザヤ書40章からだったなと思いながら、コンサートが開演するのを待ちました。曲の演奏が始まると、聖書のいろんな箇所からのみことばが歌われましたが、私にはイザヤ書からのみことばが入ってきました。語られたみことばをお読みいたします。

「シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ。あなたがたの神を。」             イザヤ書40章9節


 このみことばは、アルトのソリストが歌った後合唱でも重ねて歌われていました。実際日本語ではなく英語で歌われており、英語がよくわからない私は歌詞の日本語訳をサイドにおいて聴いていました。英語を聞き取ることも私はほとんどできませんが、かすかに「Behold Your God 」と歌われたことばを聴き取ることができました。訳を見ると「あなたがたの神を見よ」でした。そこまでわかって初めて私は、神を見上げていない自分の姿を示されました。

 ここ最近の私はただただ起きて、働いて、食べて、寝るだけの生活になっていました。日々起こるいろいろな出来事に対しても、自分の経験と能力、そして自分の思いによって、ただ押し切っているだけなのではないかと思いました。こんなに苦しいのは今だけの時間が過ぎ去ればまた落ち着くという思いの方が勝り、そこに神を求める心があったかどうか、問い正されるとはっきり答えられる自信が、その時の私にはありませんでした。そういう自分を示されました。

もう一箇所、語られたみことばをお読みいたします。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」
                                                     イザヤ書53章4〜6節  
 

 この部分のみことばは合唱で歌われていました。神を見上げなくてはいけない存在であるのに、自分のまわりに起こる状況に囚われてしまって神を求めない、この自分の姿こそが”そむきの罪”なのではないかと思いました。 私たちのそむきの罪のためにイエス様は刺し通されたと歌われていました。私の罪のために十字架にかかって下さったイエス様の姿を、このときとてもリアルに感じました。

 この演奏会を通して、私は”神を見よ”ということと私の中にある”そむきの罪”を示されました。元々聴きに行く予定がなかったのですが、T姉を通して主が導き、みことばを語ってくださったことを本当に主に感謝いたします。

 最後に先週の日曜日に起こったことですが、メサイヤの演奏会で神を見上げてない姿を示された私は、夜寝る前に次の日のリビングライフの箇所を開いて枕元に置き、朝起きて直ぐ読めるようにしました。ところが先週の日曜日の朝、私は目を覚ますと礼拝30分前の10時30分でした。もはや礼拝の開始時間に間に合う時間ではなかったので「私は、とても恥ずかしくて、絶対に礼拝には行けない!!」と思いました。 そのとき、寝る前に開いておいたリビングライフに目が留まりました。するとその日の題名は、「みことばを聞く者の祝福と繁栄」と書かれていました。そしてその日のみことばを読んでハッとしました。 なぜなら、そのときのみことばはイザヤ書48章16節「私に近づいて、これを聞け!」でした。 これを読んだとき、私は「恥ずかしくても、遅刻してでも、礼拝に行った方がいいのかな」と思いました。さらに読んでみると、18節には「あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。」というところを読んで、「礼拝に行こう」という思いが決定的になりました。メッセージまでには絶対に間に合わないと思っていましたが、教会に着くとその日の聖書箇所がちょうど読まれる前でした。メッセージの時間にかろうじて間に合ったことを主に感謝しました。
 そしてその日のメッセージで、このみことばが私に語られましたので、そのみことばをお読みします。
「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、 あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」      申命記10章12、13節  

 このみことばが、私の中ではその日読んだリビングライフのイザヤ書48章17,18節のみことばとつながっていきました。この「主の命令」が、自分の中では何のことを言っているのか良くわかっています。しかし、私はときどきその道から逃げ出したくなることもあるのですが、この主の命令に従って主の道に歩むことが、「あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。」というみことばの通りになることを信じて、この神を見上げて日々を歩んで生きたいと願ってます。主に感謝いたします。ありがとうございました。